親として、こんなに辛いことは無いんじゃないかと思うほど嫌ですよね、子供がいじめに遭っているとわかった時って。
自分のかわいい子供がいじめられて泣いている・・・と考えただけで頭の中にはひどい目に遭いつつ耐えている子どもの姿がくっきりと浮かび上がり、知らなかった自分を責め、相手の子供を憎み・・・・・
でも、子供が成人した今、その日を振り返ると、当時の私にはわからなかったことが二つ見えてくるんです。
一つは・・・
そこまでして学校に行く意味あるの?ということ。
親になると、
子どもにはできるだけ苦労させたくない
→みんなと一緒にやってれば危ない目に遭わないよね、大丈夫だよね
→だからどうか普通で居てね。できたら普通以上で居てね。
→どうしてみんなと同じことができないの?どうするのよ、みんなと同じじゃないとどうなるかわからないんだよ、なんで同じじゃないの?
という気持になってしまいがち・・・・・・。
だから、勉強ができないと必要以上にイライラしてしまうし、
みんなと同じことができないとおろおろしてしまいます。
ましてやいじめに遭ったりすると、「どこか劣っているんだろうか」と冷静な判断などできなくなるわけです。
もうひたすら『いじめられない状態』に戻したくて頭がおかしくなってしまいます。
でも、いじめられることってそんなに悪いことですか?
今の私は憑き物が落ちがようにそう思えるようになりました。
いじめられないことってそんなに素晴らしいことですか?
いじめられるというのは、その場に合ってないということ。
悪いことをしているのなら別ですが、そうじゃなかったとしたらその場を離れればいいのです。
そんことしてたら誰とも付き合えなくなっちゃう!!!と
あなたはさらに焦ると思います。
でも、誰ともつきあえなくたっていいじゃないですか。
子どもが幸せなら。
子どもが友達を欲しがるなら、どんな友達が欲しいのか?その友達候補はどこにいるのか?を考え、どうしたらそういった友達ができるんだろうって冷静に考えればいいだけのことなんです。
もし子供がわがままで友達ができないのなら、それを順序立てて説明してあげましょう。すると子供もわがままがなぜいけないのかを考えるようになります。
いじめられないために、好きでもない友達に媚びて自分を失うことが母を安心させることになるなんて、今思えば、やっぱりどこかおかしい。
でも当時の私は目を吊り上げていじめる子たちを恨み、自分の子を闇雲に庇う変なおばさんになっていました。そして家では「子供に問題があるのでは?」とノイローゼ寸前にまで追い詰められていたんですよね・・・・・
そして、二つ目にわかったことは
この経験は子供にとって財産になるかもしれない、ということ。
さっきと真逆なことを言っているのかもしれません。
でも、これも一つの真理なんじゃないかと今は思います。
もちろん凄惨ないじめとなると話は別ですが、
人付き合いなんてやってみなきゃわからないわけで、
失敗して気づくこともたくさんあります。
それをみんな避けていれば学びの無い大人になってしまうかもしれません。
現にうちの子供たちは、仲間外れになったことで多くのことを学んだと今言っています。
ただし、これはあくまでも友達と喧嘩した、というレベルの話で
恐喝や暴力等が絡んで来たら話は別です。
もしそういういじめに遭ったとわかったら、
離島とか海外に逃がしてあげて欲しいと思います。
義務教育なんか命の前ではちっぽけなものです。
学校に相談とか、そんな悠長なことを言っている場合ではなく、
とにかく休ませて遠くに逃がすことをお勧めします。
遠くというのは、いじめを行う犯罪者たちの手の届かないところ、という意味です。
お金がなかったら借りてもいいからそうするべきだと強く思います。
(実際私は、田舎の全寮制学校に娘を逃がそうとしましたが、
いじめがそこまで深刻ではないとわかったので実行にまで至りませんでした。)