
元夫の家は旧家だったので、私は結婚と同時に仕事を辞めました。
まあ、そこにはいろいろな葛藤や衝突があったのですが、とにかく、家に入って夫やその家族に尽くし、丈夫で賢い孫をたくさん産むという新たな任務を得たわけです。
最初は燃えました!
特に燃えたのがお料理!何とかして「素晴らしいお嫁さん」と言われたくて必死になって頑張りました。
婚家の方々に気に入っていただきたくて、それはもう自分を忘れて滅私奉公したものです。
でも、あるとき私は気がつきました。
嫁って何をしても気に入らないものなんだ!
それがはっきりわかったのは、義母や自分の姉に電話で義兄の悪口を言っているのを聞いた時なんです。
義母は義兄に会うと、もちろん丁寧な言葉で接しますし、いつも笑顔です。
でも、義兄がいないところで、義兄のことを信じられないような意地悪な言葉で罵りました。
義兄は家族に恵まれなかった人なので、義母や義父をとても大事にしていたのですが、そのやり方や言葉の選び方を槍玉に挙げて
「やっぱりちゃんとした家で育たないとだめなのよねえ」と嬉しそうに話しているのです。
その瞬間、私のした事もきっとこう言われている!と気づきました。
結局どんなに心を込めてやろうと、義母が気に入らない限りはすべて✖️。
そもそも自分の家のよりも格下の人間と結婚させているのですから何しても存在自体が気に入らないわけで、それってつまりは「うちは家柄がいい」というプライドの表れなんですよねー。
義母にはまったく悪気がなく、大事に育てた娘や息子がこんな婿や嫁しか貰えないなんて自分はなんて不幸なんだろうと本気で思っており、それを親族に話すことで鬱憤を晴らしているだけなのでした。
その時から私は滅私奉公を止めました。
もちろん家族を幸せにするための努力は止めませんでしたが、「「いい嫁」って言われなくても構わない、何がいいかは私が決める!」と意識が大きく変化したんです。
そして、悪口を言われても、義母のストレス解消に役立ってるからこれは1つのボランティアだもんね、と気にしないようにしました。
前は悪口を言われないようただただ必死になっていたのに…
この経験のおかげで、私は人の目をあまり気にしなくなりました。
離婚のことも別に恥ずかしくもなんともなく、もし噂にされてもみなさんの茶飲み話の種を提供してあげたと思うようになりました。
人の目を気にして、いい人やいい嫁やいい娘やいい妻になろうとするのは一見素晴らしいように見えますが、それって本当に自分が望んだ姿なの?と今の私は思います。
いい、悪いは自分が決めるんです。
世の中の常識って、結局国をまとめるために都合の良い状態を作っているだけで、個々人の幸せなんてこれっぽっちも考えていないと思いませんか?
今、みんなから「いいお嫁さんだね」とか、「あの人は本当にいい人だよね」って言われている人は、一度考えてみて欲しいんです。
それ、本当に正しいと思ってやってますか?
それ、本当にあなたがやりたいことですか?
それ、本当にあなたを含めたみんなを幸せにしてますか?
あなたが犠牲になって成り立つ幸せなんて本当の幸せではないんです。
それは偽物の幸せ。
あなたを含めたみんなが幸せにならないと意味が無いんですよ。