昨日の夜娘が高熱を出し、ついに救急車を呼びました。
苦しんで唸る娘をさすり不安な気持ちでいっぱいになっている私を、病院は離れた場所にあるベンチで待機させたので不思議だなと思っていたら、なんとその間研修生のサンプルにされていたようなのです。
その後40分ぐらい経って呼ばれて先生の説明を受けたのですが、その横で必死で帰りたがる娘。
なぜ帰りたがるかわからない私がいました。
幸い、大きな病気ではないことがわかり、薬で様子を見ることになったのですが、まだ娘は唸っており、できれば落ち着くまでは病院に居たかったのですが、でも本人がここまで帰りたがるのだからと薬をもらってタクシーを呼びました。
2人きりになると娘が言いました。
あんなに苦しんでる時に、あれ、間違えた!とかそこじゃないよ、こっち!なんてサンプルにされてると生きた心地がしない
しかも若い男の学生みたいなのに身体触られまくるんだよ
もうやだ!
うーん
そんなことが起きていたなんて!
私のようなおばさんになれば、そんなことはなんてことないのですが、やはり年頃の娘にはきつかったようです。
その時私は思いました。
私が20歳の頃、もし同じ目に遭ったとしたら娘のように「帰る!」と言えただろうか。
私は状況に遠慮して帰るとは言えなかっただろう。
でもそれこそが不幸への入り口だったのかもしれないと思うのです。
自分が嫌だと思うことは、どんな状況であろうと嫌だと言っていたら、その場は乱れるかもしれないけど最終的には幸せに繋がる。
それが自分を信じるということになるんじゃないかと思いました。
そうか、これでもし病状が急変しても近所の病院にいけばいいんだ。あのままあの病院に居なくてもなんとかなるんだ。それよりもこれ以上嫌な思いをしない方が大事なんだ。
今、娘は家について薬を飲んで寝ています。