2人の子供が小さかった頃、中学の同級生から同窓会を知らせる電話がありました。
私は育児でボロボロになっていたので、とても参加できないと答えたのですが、彼女はのんびりした声でこう言いました。
「そうなんだ〜。うちも4人いるからわかる〜」
え?いまなんて?よ、よにん?
「そうなのよ〜。上はもう小学校高学年だから結構楽になったけど小さいうちは大変だよね〜」
…
その声はちっとも、ちっとも大変そうじゃないんです。
すごいねえ…
4人?もう神様だよ、ほんと。
私なんか2人で死にそうなのに…
私がやっとそういうと彼女は言いました。
「うーん、まあ生きてるだけでいいやって思ってたらなんとな〜く育っちゃったんだよね〜」
そ、そんなことあるんだろうか!
電話を切った後も私にはそれが信じられず、長いこと記憶から消し去っていたのです。
しかし、最近なんとなくですがその謎が解けて来ました。
つまり
私は教師である親から結構厳しく躾けられて育ちました。
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身だしなみはもちろん、成績も素行も平均点以上が当たり前。その中でも上位を狙え!という価値観でした。
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それは常に安全圏の中にいろという意味。
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だから、平均点以下になると激しい恐怖感に襲われます。
これ、今でもそうです。
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子育てって、自分がどう努力しても子供が平均点以上であるとは限りません。
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友達(4人の母)の場合
そもそも彼女は放任で育っており、学校でもかなり目立つヤンキー。つまり平均点以上の呪縛ゼロ
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私の場合
ずーっと平均点以上の呪縛でがんじがらめ
そう、だから私は子育てが辛くてしょうがなかった!
子供たちの個性や能力を認めていながらも、自分の中にある【平均点以上呪縛】が
おまえ、そんなことでいいと思ってるのか!おまえはどうしようもないやつだ!
と私を責める。
だから辛くて辛くて仕方なかったんだと、今になってやっとわかりました。
確かに、この資本主義の世の中では平均点以上にいることが楽に生きる術かもしれません。
でも、よくよく考えたら、平均点以上にならなければカス、ということではなく、
平均点以上になれば楽よ、というアドバイスだったんですよね。
いや、私は結構。苦しんでもいいから平均点以下を進みます。
という選択肢は無かったわけです。
これ、親や先生もわかっていたのかなあ。
だから、もしもう一度子育てするなら、本当は平均点以上である必要なんかないんだと理解した上で育てたいと思います。
じゃないと子供を追い詰め、劣等感の塊にしてしまうから。そして当の親自身もとても苦しむのです。
仕事やプライベートでいろんな人と付き合いますが、ほとんどが平均点以上呪縛の被害者です。
だからみんなとても辛そうなんだよなあ…
これから生まれてくる子供たちのためにも、そういった負の連鎖は断ち切りたいものです。