私の読みは当たりました。
子供がまだ小さかった時、不思議に思う事が多々あったんです。
例えば…
母親が子供の意思を全く無視して、毎日日替わりで習い事をさせている家がありました。
その子は流行のファッションに身を包み、いつも身綺麗にしてあちこち連れまわされていました。
お行儀も良く絶対に親に逆らわないので他のママ友たちはみんな羨ましがっていたんです。
でも、私はその子がとても可哀想に思えました。
うちの野生児たちを見ていると、子供がそもそもそんなに聞き分けがいいはずがなく、恐らく親の信頼を勝ち取るために必死になっているに違いないと思ったからです。
その子は成長するにつれ、親に激しく反抗するようになり、今では家に引きこもって親と口もきかないそうです。
あるお子さんは小学校の人気者だったのですが、それは母親がPTAの役員で幅を利かせ、
しょっちゅう学校に出入りし、人気のあるお子さんの親と接触してその親子を取り込み、何とかして自分の子供を理想の子どもにしようと必死になっていたという裏事情がありました。
中学に上がると、母親の力の及ぶ範囲が狭まり、たちまち彼はいじめられるようになります。
もちろん母親は立ち向かいますが、彼はますます沈んでいきました。
そして結局裏の道に。
小学校受験のために学校と睡眠以外は勉強漬けだったお子さんもいました。塾だけでなく、仕事から帰ったお父さんまでが彼の先生でした。
たまに、息抜きと称して彼の母親が彼を連れてうちに遊びにきましたが、他の子供達とは全然違う聞き分けの良さに驚いたものです。
その子も、中学で家でを繰り返し、かなり大変だったと聞いています。
他にも、こんな話は枚挙にいとまなしです。
私は思うのです。
子供を守るということは庇うことではなく、子供が1人で歩いていけるような力をつけてやることなのだと。
長い人生、1人で戦わなければならない場面が山のように出て来ます。
そこにすべて母親が顔を出せるでしょうか。
すべて母親が仕切れるでしょうか?
そしてなにより、子供の人生は子供のもの。
母親のものではないということを、
再認識する必要があると思うのです。
子供のために母親ができること。
それは、戦う我が子を見守ること。
そして疲れて帰って来た時に優しく労わること。
それしかない。
間違えない子を目指すのではなく、間違えても自身の力で立ち上がり、それを糧にするような人間に育てるべきなのです。
強く優しく正しい子に育てるには、まずこの心構えが必要だと私は思います。
当時、確信は持っていましたが、将来本当に自分の思うようになるのかは多少不安ではありました。
でも、今まさにそれらが証明され始めました。
ですから、今こそ確信を持って後輩の皆さんにお伝えします!